おかしな国になっていくということ

西日本を中心とした豪雨災害が起きてから2週間が過ぎている。
広島や愛媛、岡山での被害が大きいようだがテレビのニュース映像で見ると、山沿いの民家が山崩れ被害にあったり、小さな川の氾濫によって人的被害が出たりしていて、自然との共生が難しいことを感じる日々だった。

被害にあった人びとの「もう生まれ育った町ではない」という言葉にも重みを感じる。家族が亡くなった人びと、住む家が流されて暑い避難所で生活する人びと、多くの悲惨さを目にした。でも、軽々に、胸が痛むなどと口にすることもできない。
日照りの東京で暮らし、エアコンの温度を気にするくらいの生活をしている人間が、その生活を全て失った人たちに、口にするのも控えるという言葉はあるのだと思う。

ちょうど、災害に対する重大な警報が流れた夜に宴会をしていたという政治家たちがいた。翌日にオウム事件の7人の死刑執行があるという法務大臣も参加していた。
弁明に追われる首相は、対策本部を設立して担当大臣にも指示したと繰り返した。総力で対応したという趣旨をオウム(鳥のほう)のように繰り返した。

大事なものが抜け落ちていた。倫理観である。ルールやシステムでは語られないものが個々の倫理感だ。大災害の予測や、歴史的な人数で死刑執行するという間の夜に、党派が群れてピースサインを出して写真をとるということ。これを私たちは「常識のなさ」と呼ぶ。子どものようだ、と言っては子どもに失礼だと思う。今時の小中学生でも、「それってまずいんじゃないの」という子が多いと思う。

権力が自分たちを守るためにルールやシステムを活用することは昔からあることだ。しかし、自分たちではなく国民を守るためには、と考えるのは、彼らの倫理観には含まれていない。その上で、労働のルールやカジノ、議員定数の問題、水道の民営化などを立法機関として断行しようとする。いったい何を守ろうとしているのか。

経済界と選挙の重要性ということが浮かび上がってくる。議員は大方が選挙区で選ばれるものだが、その地域が被害を受けているのに宴会に参加しているK議員もいた。
KはA首相と膝を交えて話している様子が写真に写っている。これからの9月の総裁選がやんわりと匂う。もうアルファベットでしか書きたくない気持ちだ。カフカの小説の主人公のように。
また、その風景をツィッターに掲載して、こんなに盛り上がっています、と嬉しげにコメントする議員がいる。どうすりゃいいの、この現実。

そして、最近また唇がアルファベットのOのようになる案件があった。以前に、和服愛好連の議員の集まりに触れたし、日本会議の議員連、カジノ議連などの連合もあった。なんで、こんなに群れたがるのだろう。この群れが集まりで使う時間は、国民全体の要望のためではないだろう。一億総活躍という空疎なキャッチフレーズもあった。狙いは見えたけれど。女性活躍のための大臣や災害担当とかいろんな肩書を準備しても実態は見えない。小学校以上の委員(大臣)のデフレ化だと思う。

さて、その唇がOの字になった風景。
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これ、名前が長いですよ。「盆踊りとラジオ体操で東京五輪を盛り上げよう」議連。電通だかどこかの下らない尻馬に乗ったのかもしれないが。この暑さの中でエアコンのきいた室内で練習している。これ、バンザイしているのは国会議員の人たちです。長袖でネクタイをしている男もいる。被災地の実情の中で五輪を盛り上げるって。絶句。後ろの浴衣姿の女性は盆踊りの指導者。やっている連中より、これを許すこと、わけがわからん。

そして、ギャグのようだが、だいぶ前にウチワ問題で大臣を辞任した女性も元気よく両手をあげている。盆踊りにはウチワがつきもので。。もうこちらがお手上げになるような現実だ。
でも、この人たちが西日本の豪雨災害についてインタビューを受けると、胸が痛むとか災害にあった人に寄り添いたいとか、しらっと口にするのだろう。

つくづく「事実は小説より奇なり」だと思う。まあ、ブラックユーモアの小説にはなるが。
おかしな国になっている。海外のメディアがどのように捉えるのだろう。
そして、天変地異、自然現象の変化、この夏の酷暑、その中で私たちは生活を続ける。
おかしな国であっても。

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# by wassekuma | 2018-07-20 12:07 | 社会  

昔の映画の味わいについて

今週の初めから箱根での恒例の集まりがあった。二泊三日の箱根滞在。
学生の頃からの付き合いでもう知り合ってから40年以上が経つ。
それぞれの軌跡を描いてここまできた。
年に3回から4回ほどつかう定宿は来るたびに変化しているのがわかる。

中国や韓国のグループが多いのは去年から目立っていたけど、今回は露天風呂の近くでフランス語を聞いた。スイスからきた若者のグループとあとでわかった。
いやはや日本を観光して歩くという人たちの拡がりには驚く。日本人でも余り知らないような場所でも外国人を見かける。

そんなことを話題にもしながら旧友との話は続くのだが、やはり昔話にもなる。学生時代を知っているのは私も含めて4人で、それぞれの「馬鹿だった思い出」話が出る。記憶を空気の中で回していくような感じだ。おそらく多くの同世代は若気の到りということを時々思い出しては反芻するのだろう。

G・フロベールの小説「感情教育」でも最後はそんな描写があって「昔はよかったなあ」という雰囲気でしめられる。「小さな中国のお針子」という中国映画でも、そんな終わり方をする。これって「感情教育」の影響かな、とふと思ったのを覚えている。その頃はよく中国映画を見ていた時期だった。
でもそれは言葉の綾であって、昔でも厭なことや困ることはちゃんと存在していた。

最近のことでは、先月末に新宿に出て「浮草」という日本映画を見た。小津安二郎の映画だ。1959年の作品。私は9歳で、もちろんリアルタイムでは見ていない。
9歳の子どもが「うーん、やっぱり小津は大映で撮ってもいい味だな」とか呟いたら怖いね。

松竹の専属だった小津が大映で撮ったのには理由があるけど、そこは省く。ただ、これが初めてで最後の京マチ子と若尾文子の起用ということだった。二人は大映のトップスターだった。映画は4Kっていうことで、鮮明な画面で見ることができた。

映画が終わってから若尾文子のトークショーがあった。今では80歳半ばの女優が二人の男性に腕を支えられて登壇した。横の入り口から入ってきて、客席の通路を通って階段を上り壇上に向かう。そうだよな、この映画の時に25歳だったというから、もう85歳だろう。暗い映画館では足元が危ない。少し前には犬のソフトバンク一家の祖母としてテレビで見かけた。

彼女は小津を初めとして過去に関わった映画監督の話を穏やかに話していった。溝口健二、増村保造、川島雄三などを中心に話していくが、もうそれだけで日本映画史の趣がある。
共演者たちもほとんどが鬼籍に入っている。「浮草」にしてもそうだ。京マチ子は存命のようだが、共演者はほとんどがもういない。

再びこの映画を見て感じたのは、あの時代の映画制作の職人たちの息遣いだった。カメラの宮川一夫や美術、小道具に到るまで職人の匂いがした。
職人~一つのことを飽きもせずに追い求めて技を磨く人ということだ。
宮川一夫が黒澤明をカメラで支え、中古智が美術セットで成瀬巳喜男を支えた。
映画製作はそういったチームプレイだ。

壇上で穏やかに語る老女優もその職人集団だったのだな、と思った。若尾文子の苦労話の中で、溝口との仕事で自殺まで考えたという言葉は重かった。何が、その彼女を支えたのか。「負けん気」である。負けてなるかという気持ちでその作品を乗り切ったという。「赤線地帯」という溝口健二の遺作である。

負けてなるかという気概をもつことは職人の大切な要素だと思うが、もっと大事なことは勝ったとは思わないことだろう。次があるからだ。勝ったという慢心を捨てて謙虚に次に向かいあう。

話を箱根での集まりに戻すが、二十歳代からこれまでの生き方があって、いろいろなことを話しているうちにそれぞれの「次」が話題になっていた。年齢に関係なく、「次」があり、どこで何をしていこうかという話になる。実現が可能かどうかは別に頭の中にそれぞれの思いが巡っている。そんな時間を過ごせた。
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これが「浮草」の予告編。映画の黄金時代と言われた頃の作品だ。観客がどんどん減って行き解散するしかなくなる旅芸人一座の話だ。大仰で前時代的な予告編になっている。ところどころに見える画面の赤に小津の趣味が表われている。

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# by wassekuma | 2018-07-12 11:21 | 映画  

ワールドカップを見ながら

今はテレビなどではワールドカップの映像が溢れている。
4年に一度のお祭り騒ぎを見ているのだが、40歳の頃からこのワールドカップには興味を持ち始めた。なぜだったのだろう。よくわからん。

中学生の時に神戸の中学に通っていて、その学校が伝統的にサッカ―に力を入れていたこともあるのかもしれない。毎年クラス対抗のサッカ―大会があった。クラスでA・Bの2チームを作り大会を行った。
その時期には日本のサッカ―は実業団サッカーを中心に行われていた。今の人に言ってもわからないだろうが、三菱重工、古河電工、ヤンマー、八幡製鉄というようなチームだったのだ。

当時有名だったのが、ヤンマーの釜本、三菱の杉山などが世界で注目を集めていた記憶がある。個人的には新日鉄の宮本が好きだった。中盤のゲーム作りの人だ。たしか、メキシコのオリンピックで銅メダルをとったときのメンバーだった。

まあ、あの当時はオリンピックくらいしか注目されなかったし、試合の観客数も微々たるものだった。それが今では・・・この騒ぎ。
調べてみたら、あの宮本輝紀選手は60歳で亡くなっているのだが、もし生きていて渋谷のスクランブル交差点の様子などを見たら腰を抜かすだろう。
ナショナルチームで一緒だった川渕三郎はまだ元気で活躍している。

宮本選手に好感を持ったのは、黙々と責任をこなすという雰囲気が漂っていたからだと思う。子どもの自分にとって、大人はこうでなければと思えたのだった。
今メディアに現れる大人たち(自分に近い世代だよ)のような醜悪さはない。
今のようなトータルサッカ―ではなく、中盤を守って左右にボールを運んで攻撃陣に渡すような仕事だ。フォワードはウィングやインナーというポジション名だった。例えば、三菱の杉山はレフトウィングという風に。

あの頃から見れば日本でもサッカ―熱は高くなり、選手への注目度も「半端ない」状態になった。スポンサーの群がり方や放映権などの金の動き方はオリンピックと同じようにお祭り経済効果があるのだろうが、スクランブルで見知らぬ人たちとハイタッチをしたり道頓堀で川に飛び込む人に拍手を送るような趣味はない。「みんなで踊る」のが苦手なだけだが。

今回のワールドカップの特徴は、FIFAランクで下位のチームの見せる頑張りだ。アイスランドやアフリカ勢の活躍が目を惹く。スペインやイタリア、イングランドの名門チームで活躍するスーパースターがいるチームに戦いを挑んでいるのだが、アイスランドのような小国(人口33万人:鳥取県の6割)で、選手たちも別な職業を持っているような国が必死になって相手のゴールを防ぐ。アルゼンチンのとの対戦を見たが、ディフェンスにこれほど感心した試合はないくらいだった。華麗なゴールだけではなく、無名な選手の熱い守りも見ごたえがある。

そして、ワールドカップを見ていてふと感じるのは、この選手たちの一瞬の輝きということだ。これまでに記憶に残っている選手たち。あえてこの若者たちと言うが、若者たちは一瞬の輝きを残して消えて行く。そうか、あんな選手がいたな、という感じ。いろんな名前が浮かんでは消える。イギリスのガスコイン、イタリアのバレ―ジ、ドイツのマテウス、オランダのクライフ等々。そう言えば、今回はイタリアとオランダが出場していない。みんなどうしているのだろう。クライフは亡くなったはずだ。

思えば、サッカ―に熱中した中学生の頃には世界の名選手のことなどはよく知らなった。知っているのは、八重樫であり小城、宮本、杉山、釜本、横山などだ。狭い世界。
そして、今でも覚えているのは二年二組のうちのチームにいた辰巳くんだ。
ライトバックを守っていたが、ほとんど動かなかった。しかし、ボールが来ると肥満体を生かして思い切り遠くまでボールを蹴ることができた。
走れ、辰巳!とセンターラインにいる私は何度も声をかけた。彼は、サッカーはボールが来たら蹴ればいいと考えているようだった。こなければ観戦している。腕を前で組むようにして。そんな光景を思い出す。

サッカ―中継を見ていると、あの頃の風景が甦ることがある。空に向かって飛んでいくボールの風景だ。そして、みんながむきになってボールを追いかけた記憶。

最後に、北アイルランド代表の昔の名選手の写真を。
ジョージ・べストという選手だ。アイルランドという国にこだわりもある。なぜか、5人目のビートルズと言われていた。それほど当時の人気はすごかったのだろう。
この人は伝記まで読んだが、よき時代を感じさせる選手だ。ファンには悪いけど、ベッカムよりもすごいと思う。晩年はガスコインと同様に不遇だったけど。
彼らの時代のサッカ―選手は今のプラティニやベッケンバウワ―のように、あるいはマラドーナのように次の世界で活躍することがなかったのだ。
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# by wassekuma | 2018-06-23 10:37 | 日常  

王様のいない王国

やれやれ、という感じの世の中を見せつけられている。
まあ、東京エリアでの話なのだが。こんな時は、地方のエリアを旅して、「ここも日本だよなあ」という感じで風景を見ることにしている。自然と戦い、あるいは融和している人たちの生活。

やれやれ感から離れて足元の問題に気を配って日々の営みを行っている人たちがいる。
高言を嫌い、嘘を恥と感じるモラルはまだまだ広い範囲で生きているのだと思う。
その辺りの人口?例えば、うちの先祖の墓のある島根県全体の人口は、今私の住んでいる世田谷区より二十万人ほど少ない人口だ。ありゃりゃ。70万対90万。過疎の県になっている。
人口の面から見ると、地方のいくつかの県を併せて、東京の二つの区くらいになる計算だ。島根と鳥取を併せて128万。その程度の規模だ。昔の経済産業力の自立性を考えたら、藩のレベルの方が活性化するのではないか。地方活性をうたう役所を廃止して、廃県置藩。

視線を換えて永田町や霞が関の人たちの生業を見ると、そして、また拡げて東京人の実態を見ると、実は石を投げるとほとんど地方出身者に当たるだろう。私もそうだ。その地元の因縁で票を得た人間が政治に関わる。上京して青雲の志をもったはずのエリート集団が官庁で仕事をする。第4の権力のメディアもそうだ。メディアという言葉がジャーナリズムという言葉を押しやったのにはわけがあって、広告(興行)媒体の浸透が強いからだと思う。特にテレビメディア。

今でも騒がれている日大のアメフトの事件。何度、あのタックルの映像が流れたのだろう。批評する人たちは意気揚々と攻撃することを続ける。就職問題にまで話が及ぶ。あの体育会の事件が就職に不利になるなんて論理があって、大学の就職担当が多くの企業にお願いの文書を発送したという。この過保護状態も「忖度」と呼ぶのだろうか。

この日大の事件は、政治権力のありようがトリクルダウンしたものだ。あのシャンペンタワーのように上から下に落ちる図式。昔、中国の鄧小平が「先冨論」で中国の経済発展を促した手法だ。
責任の取り方が霧の中になって「傘判」の状態だ。円形を描くように丸く決裁判を押すこと。私が仕事勤めをしていた時に、実際にこのようにした企業もあった。責任不在の状態を作る。こんな姑息な手段があるのか、と驚いた。

今、六月末までに仕上げようとしている小説があるのだが、ニュースを見聞していると、まるでSF小説のようだ。国会での動き、次々と生じている不祥事、記憶の混濁、応える立場にないという立場、ないものがあったということ、役人の文書の改竄、名刺があっても会ったこと忘れる人たち、セクハラ罪はないと語る政治家、やはり子どもはママがいい、という軽々しい言葉、いやはや。

これを羅列した小説を書くと「物語を作り過ぎだぜ」という批判が出るだろう。でも、事実は小説より奇なり、という言葉もある。現実なのだ。
最近読んだチェコのカレル・チャペックの「クラカチット」という小説がある。「ロボット」や「山椒魚戦争」で有名な作家だが、この小説は原爆の恐怖を描いていて、G・オーウェルの「1984」の雰囲気も持っている。いわゆる悪夢のような小説だ。

今の日本の状況は不条理に満ちている。たしかに、うちわを配って大臣を辞任した人もいるし、現地のスタッフにオンブされて笑われた大臣もいる。不倫の議員も議員辞職した。下着泥棒の問題を抱えた大臣もいた。あと、パソコンを壊したという人、誰だったっけ。失言に関してはもう記憶から消えるほど数は多い。

この権力構造の緩み方はSFのようだ。そして、なによりも不条理と思われるのが、これらの不祥事よりも、財務官僚が文書はないと証言をしてそれが出てきたという事実だ。印刷をする紙がもったいないほどの量だった。
膨大な紙の山がテレビに映った時に、うちわやオンブや下着泥棒よりも財務大臣の責任は重いと思った。しかし、この人はボルサリ―ノをかぶって海外に顔を出している。海外メディアは彼が発した言葉をしっかり捉えている。

ふと、言葉が浮かんだ。今この国は王様のいない王国のようになっている、と。
王様は裸だと言えるのが子どもだけとしたら、もう子どものようなシンプルな眼に期待するしかないのだろうか。

連想したのは、昔少年時代にやっていた将棋だった。よく将棋を指していた友だちがいて、うちに来て将棋をしている時のことだ。私が優勢でもう詰みの一歩手前まで行った時に、彼は王将を股の間に隠して盤面から消した。
「王将をとられんかったら負けやないやろ」。笑いながら彼はそう言った。私も笑って、じゃあ、おれも王を隠してみるか、と返した。それから王将のない将棋を続けたが、途中でやめた。相手の駒を全部とるという将棋に飽きたのだった。将棋はとられて取り返すというゲームなのに気付いた。そして、ヨーロッパのチェスとの違いはとった駒(敵)が味方になって戦いを続けられるということだ。
ある種の野合とも言える。

こんな状態はまだまだ続くのだろう。
そして、今年ももう少しで半年を過ぎようとしている。時間の流れには忖度はない。

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# by wassekuma | 2018-06-02 11:59 | 社会  

くせのある字を書いてきた

先日、年に一度くらいしか会わない旧友に再会した。
十九歳の頃に大学で知り合った友人だ。今はインドのゴアに住んでいてビジネスをしている。福島の喜多方から出てきた人で庄司くんという。もう一人の長い付き合いの石川くんのやっている店で合流した。毎年一回の行事だ。

石川・庄司とは三人で同人誌を組んだことがあって、もうそれから四十五年を経過している。まあ、これまで無事に生き延びてきたことは嬉しい。
思えば、あの頃は自分たちがどのように還暦過ぎを迎えるなんて想像もしなかった。ただ、今の時点ではそれぞれが何かに強いこだわりをもって好奇心を蓄えながら生きていけることはよかったと思う。

旅の話も出る。庄司のように放浪型の生き方をしていて異邦(イタリア)の連れあいと暮らしているというスタイルもあるし、異国に対しての興味は、やはり何か面白い発見があるという話の流れになる。

話が盛り上がっている時に、ふと頭をよぎった記憶があった。
同人誌を出していた頃のことだ。まず大学の文芸部の部屋で感じたのは、文学との関わりを読むだけで閉じてしまう人たちがほとんどだったということだ。読む→書く、というインプット→アウトプットの流れを語る先輩はほとんどいない。
これではだめだ、と思って、自分たちで出版しようと考えた。

そこで今日のタイトルに繋がる。千駄ヶ谷にある和文タイプの印刷屋とやりとりをした思い出だ。当時のことなので、ワープロやパソコンのワードを駆使することはない。コクヨかライフの400字詰めの原稿用紙を文字で埋めていって、それを印刷屋に渡して製本までしてもらう。

今はほんとに便利なことに削除や追加、書き換えがカーソルを動かすことによって簡単にできる。次の展開のキーワードを書いておいて原稿を続けることも出来る。便利なものだ。
思い出は、原稿を見ていた印刷屋の主人に言われたことから始まる。
「あんた、ほんとにくせ字だねえ。読みにくくて困るんだよ」ということを言われた。校正で赤をいれて欄外に書かれている字もわからねえとこがあるし、と言葉を続けた。「枚数だけは三人のうちで一番多いけど、あとの二人はまだ読みやすいって作業のやつが言ってるよ」

話していて、どうやらこの主人は学生の同人誌に不満を持っているようだった。タイプにない文字、「あ」に濁点を打ってくれというやつもいる、という話も聞いたことがある。表現だからいいだろうってさ、物事にはルールがあるんだよ、あんたら若いのはそこがわかっていない。そう言った。「あ」を濁らせてどう読めばいいってんだろうな。

その時に父親のことを思い出した。高校二年生の時だ。祖父が亡くなってすぐの頃だった。薬師寺の僧侶の講演会で聞いた話でよかったところは、と話し出して掌にノートを出してきた。それを見ながら、しばらく説教がましいことを言っていたが、聞き流していたら突然黙った。そして、首を少しかしげてから呟いた。「なんて書いたのかなあ」と。
自分の書いた文字がわからなかったのだ。父のくせ字は有名だった。
「おまえ、読めるか」とノートを見せたが、ほとんど見もしないで「読めない」と言った。それで、話は中断した。その頃にはDNAという言葉はなかった。そういうことだ。
その後に、自分が愛しく思える人間は、その筆跡まで愛しいと感じるものだということを知った。その文字に、どんなくせがあっても、だ。ま、それは別の話だけど。

あのタイプ屋はどうなったのだろう。出版という領域も激変している。先のインドの友人も電子出版でものを書いている。ケータイ小説?の話もわからない。電子出版から普通の本の出版をして売れに売れて世界で1憶冊という記録を作ったイギリスの女性作家の話も聞いた。知らなかった。E・L・ジェイムズという女性。横にいたイタリアの彼女から中身を聞いたが、まあ自分にとっては興味のない物語だった。

そして今、ニュースの画面で膨大な紙の資料が映し出される。なかったとされていた隠匿資料。ここに書かれているのは全てワードだと思う。無機質で個性を消し去った文字の羅列。

あの時に、「あんたは直そうとして書いてるんだろうけど、それが読めねえんだよな」と苦笑していた店の主人を思い出す。その節はご迷惑をおかけしました、と詫びたいところだが、もう相手はこの世からは消えているはずだ。

字は体を表わすとよく言われるが、おそらくその理屈なら、くせの多い生き方だったんだろうなと思う。でも、それが自分の字体(流儀)なのだ。そう思う。

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# by wassekuma | 2018-05-26 09:48 | 日常  

ゴールデンウィークの過ごし方

今日でゴールデンウィークが終わる。
いやはや時間がすごいスピードで過ぎて行く。もう五月か。
連休に入る前の時期に富山への旅をした。
仕事で富山には何度か行っているが、旅をするのは初めてだった。黒部宇奈月から滑川への旅。トロッコ電車で山の風景を見るのと、海に出てホタルイカ漁船に乗るのがポイントだったけど、ホタルイカは天侯不良(沖の風)のため中止。夜中の二時半頃に港に向かおうとしたら、ホテルに同宿していた若者がエレベーターの所で声をかけて来て、「釣り船はけっこうですよ」と言って、上の階に登って行った。それを聞いて、「決行」と頭の中で変換して出ようとしたら、ホテルのカウンターにいたスタッフが風のために船が出ないことを教えてくれた。「欠航」だったのだ。
そうか、出ないかもしれないと思っていて、欠航すると聞かずに「決行」と捉えるのが自分の発想だと気づいた。となりにいた相方はちゃんと出ないほうだと理解していた。私ほど楽観的ではなかった。

日本語の同音異義語は難しいのかな。思い出した、昔父が言っていた「けっこう」の話。「結構」という言葉について。不思議な言葉だと父は言った。うまいものを食べていて、結構な味ですね、と褒めていて、満腹になると「もう結構です」となる。同じ言葉で意味が違ってくる。そんなことをふと思い出した。

富山を歩いていて地元の人が人懐っこい雰囲気なのを感じた。旅は風景との出会いや発見がメインだが、人とのふれあいも自分の記憶に残ることが多い。
今でも、思い出す風景があり人との交流が甦る。一期一会で通り過ぎるものだが、人間には記憶という倉庫があるので、一瞬のフラッシュバックで甦る人たちがいる。もう会うことのない人たちだ。

旅をしていくうちに自分が好きな樹木も発見する。ブナの樹だ。西津軽の深浦を旅していて発見したブナの原生林。十二湖の青池の周辺に生息する林だった。この風景に息を飲んだ時からブナのファンになった。
そして、これも教えてくれた青年が思い出として残っている。雨風の強い朝だったので青池に行くのは危険だと思って宿で相談したら、「いや、こんな天気でも林が雨や風をさえぎるから大丈夫です」と教えてくれて長靴を貸してくれた。山道を歩いて行くと、その通りだった。静かな風景が拡がっていた。やはり地元にいる人は判断が的確だった。そこで美しいブナの林と出会ったのだった。日の光りを跳ね返して輝いているような若葉が揺れていた。
山から下りて、その青年にお礼を述べた。そんな思い出だ。

そう、今の自分にとってそんな時間の過ごし方がゴールデンウィークになっている。
昔の会社勤めの時には、暦上のゴールデンウィークはほとんどが体調を崩して休んでいたという印象が強い。風邪気味になっていくらでも眠れた。仕事の繁忙期が終わって気が抜けていたのだろう。子どもたちもそれを覚えているだろう。いやあ、眠かった。黄金のうたた寝@ビートルズ。ベッドが友だち。

年をとって人ゴミが苦手になり、みんなで一緒になにかをするということが億劫になってきた。今年のゴールデンウィークはタイミングが合って、身内との交流はできた。息子たちとのつながりはいろいろと刺激になっている。
会話の中でも、自分の老人力の話を語ることにもなる。学生時代からの友人で、携帯電話をかけていながら、その携帯電話を探して周囲の人が驚いたということ、財布をしょっちゅう失くしてしまう友人の話。何かが失われ、何かを得ているという図式。

でも、やりたいことをしっかり持ってやっていくことは大事だ、と宣言もする。これは老いも若きも一緒なんだよ。こんな親父の説教めいた言葉をどう聞いているかはわからない。

幸いなことに少しでも長く生きれば、自分のこれまでを自伝小説で言うと「章立て」をすることができる。今の私は第4章というところだろう。それぞれに生活の転換点があったから。そして、第4章は旅の描写が多くなっている。
ということで、今月の半ばには長野・蓼科への旅を予定している。久しぶりに諏訪湖も見るだろう。好きな映画監督、小津安二郎の「無藝荘」も見てくるつもりだ。あとは、会社で世話になった仲間のKくんが教えてくれた諏訪神社にも寄りたいと思っている。
上諏訪と下諏訪に二つあるようだが。どちらかが出雲大社と縁があるはずだ。

今はぼんやりと自分の部屋から青い空を眺めながら、こんな空の下のどこかで鯉のぼりがはためいているんだろうな、と思う。穏やかな日の光りが射しこんでいる。
追加:あの深浦のブナ林はこんな感じだった。淡い緑と真っ直ぐな細い幹がいちずに空を目指している。光が優しく包んでいた。
「ブナ」の画像検索結果

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# by wassekuma | 2018-05-06 12:27 | 日常  

滅茶苦茶でござりますがな@花菱アチャコ(改訂版)

また昔の記憶から書きだすことになる。
表題の「無茶苦茶でござりますがな」というのは、日本が高度成長の時代に人気者であった花菱アチャコの決め台詞である。
こう書いても、還暦以上の世代を除いて、誰だ、それ?という反応だろう。
エンタツ・アチャコという漫才コンビで一世を風靡した。関西の漫才コンビだ。

この言葉が浮かんだのは、今の日本の政治状況を見ていてのことだ。頭の中にこの言葉が浮かんだ。永田町や霞が関に浮遊する言葉については触れたことがあるが、政治家の擦り切れた言葉が漂い続けている。そして、何だか滅茶苦茶。

まず難しい漢語を羅列してみる。忖度・隠蔽・改竄が私の中で金銀銅のメダルになっている。これって、漢字練習帳の上級だろう。子どもに難しい漢字を教えるよい機会だ。「竄」なんてなかなか書けないよ。
あとは、気持ちの悪い言葉~「膿をだす」。
財務省を初めとして防衛省や国土交通省、文科省、厚労省、あるいは、その各省の下支えをしている事務局レベル(近畿財務局など)も、全体で膿を出すとなるともうシュールな世界でしかない。そして、何よりもこの言葉を使っているのは政権トップの人間である。やれやれ。
出したところで、国会・行政は膿まみれ。見たくない。

「任命責任」というのも不思議な言葉だ。権力を持った人間がなんとでも逃げ切れる言葉で追求してどうするんだ、と思う。責任を果たすためにこれから頑張るよ、という返事を想定しないで攻撃しているのだろうか。当然、任命責任があるから椅子からどかないという理屈が使われる。この常套手段をなんど眺めたことか。

そんな様子を見ていて、表題の「滅茶苦茶でござりますがな」というアチャコを思い出したわけである。
財務省次官のセクハラ問題もそうだった。漢字練習を終えた子どもには、偏差値が高くてよい学歴をもって国のために働こうとしても目の前にいる人間をなめてはいかんよ、と親は教えることになる。
セクハラとパワハラの混在は、相手の人間をなめているからなのだ、と。テレビのニュースでは次官の発した低劣な言葉が流されて、お茶の間(古い!)にいる子どもたちが不思議そうに見つめている。
「おとうさん、縛っていい、ってなに?警察?」

個人的な価値観かもしれないが、私は勲章を制服に多くぶら下げているスタイルは嫌いだ(軍服)。名刺に10文字を越えるような部署名の入ったものも嫌う(役人)。文科省で仕事をした時に相手から13文字の部署名の名刺をもらったことがある。若い役人だった。
こんなに長い部署名を相手に伝えるのは難しい。通り名で言うらしい。そして、その名刺のデザインがかなり奇抜なので、それを訊くと、彼は、自分で自由にデザインできるんです、と応え、印象的な言葉を吐いた。
自分の自由がきくのは名刺くらいですから、と呟いたのだった。役人文化というのは確かにある。

役所の核をなすのは文字の羅列だ。資料や契約書、審議過程の記録なのだ。文科省に行ったときにも段ボール箱に詰められた資料が廊下に並んでいた。聞いてみたら、倉庫に移動させる途中だと言っていた。すごい量だった。
でも、それを改竄したり隠蔽することは、役人としては相当につらい作業だろう。それを忖度という言葉に収れんさせることはできないはずだ。この難関を避けるには役人言葉の羅列で耐えるしかない。大変だなあ。あるものをないと言うのは。

ということで、「滅茶苦茶でござる」のだが、最後に道徳の教科書の滅茶苦茶について。小学校の六年生で学ぶ教科書。ご存じの方もいると思いますが。
「星野君の二塁打」というタイトルの話。これはネットで原典を読むことができる。

こんな物語で何を小学生に教えるのか。筋は、この試合に勝てば甲子園だという決勝戦でチャンスを迎えてバッターボックスに立つ星野君に対して監督はバントのサインを出したが、思わず星野君が打ち返して二塁打になった。結果的にはそれで甲子園出場となるのだが、翌日に監督から部員全員に説教がある。監督は星野が指示したこととは違うことをやったと責める。監督の指示に従わなかった選手は甲子園に行かせない。そう監督は言い切る。星野君はそれに従う。まあ、要するにそんな話。

すぐに連想したことがある。いつのことか忘れたが高校サッカ―の大会で強豪チームを避けるために、負けた方がその強豪チームではなく勝つ可能性が高い相手になる組み合わせであることを有利だと考えた監督が、選手にわざとオウンゴールをするように指示した。負けるように指示したわけだ。それを選手たちは守り、たしか二本のオウンゴールによって相手に点を与え、そのチームは敗戦となった。そんなことがあった。
こんなもの教育でも何でもないだろう、とニュースを知った時に思った。その指示に従った高校生はそのことを抱えて生きて行かなくてはならない。
今、世間で起きていることを見ると、重なって見える話だと思う。オウンゴールを決める官僚たち。誰のために?なんのために?

この「星野君の二塁打」は1947年(昭和22年)に雑誌の「少年」に掲載されているらしい。そんな題材をなぜ今の時代に復元したのか。1947年といえば、日本の敗戦から2年が過ぎている。監督の指示は絶対であり、星野君はそれに反したことでチームから離れることになる。これを道徳のテキストとした文科省は何を考えているんだろう。
文科省の資料によると、チームワークのために指示に従うことの必要性を考えさせるという意図が読みとれる。しかし、チームの仲間たちはどのようにこの監督の言葉を受け止めたのだろう。星野よく打った、と歓声を挙げたのではなかったか。

私は想像でものを書くことが好きなので、星野君の「それから」が気になる。
野球から離れて勉学にいそしんで高級官僚になる星野君でもいい。権力の中枢になり上がる。指示する側に立ちたかったのだ。
そして、銀座のバーで語る。「おれさ、そん時に二塁打打っちゃったんだよね。監督の指示を無視して。ま、それで学校は甲子園に出場できたんだけどさ」
そして、好きな言葉は「三本の矢」「日本を取り戻す」「一億総活躍」「女性の活躍できる社会」「膿をだす」。
ということで、わけのわからない人間になってしまう。


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# by wassekuma | 2018-04-19 11:00 | 社会  

学びて時にこれを習う

昨日の夜、新宿に出かけて最初のベトナム語の講座を受けてきた。
しかし、久しぶりの新宿はすごかったすよ。ちょうど会社帰りの人が駅に向かう時間帯だったので、都庁方面からの勤め人の群れが濁流のように流れてくる。それに対して、反対方向に向かっていく数少ない人たちがよけて通る。その中の一人に自分もいたわけだ。水泳の抜き手を切るポーズで歩きたくなった。変なオヤジがいた、と晩飯のつまみの話題になるかもしれないが。
確かにあれだけの大きなビルから吐きだされるのだから、あの洪水にはなるのだろう。一体どれだけの人があのエリアで働いているのだろう。

幸いなことに40年近いサラリーマン時代にあんな人混みの中を歩いたことはない。本社は普通の住宅街のようなところにあったし。しかし、記憶を辿ると、あの東日本大震災の時に帰宅するためにバス通りの歩道を歩いた時に似ている。淡島通りという道だが、帰宅の人びとが満員電車の車内のようにひっつきあって歩いていた。

まあ、そんな風景を見ながら住友ビルに到着。講座は生徒が10人ほどの規模だった。日本語学校の先生も何人かいた。
青年と言えるほどの若い講師が指導してくれる。ベトナムで農業実習の経験を積んだ人だった。熱帯農学という分野があることを初めて知った。
何かを勉強しようというのは久しぶりで、わくわく感で盛り上がっていた。以前、テナーサックスの演奏のために先生に就いて以来だった。まあ、あの時は二年以上のレッスンだったけれど。

言葉は文化を反映する。ベトナムという国の歴史も言葉に表れている。科挙のために中国との繋がりがあった歴史、そのために苗字のグエン(多くの人の苗字)も「阮」という漢字から来ている。
そして、面白かったのは、儒教の影響だろう、英語のMR.が相手によって使い分けられる。年下か年上か、あるいは同年代かによって二人称が変化する。日本でも方言なども含めて人称が複雑に変化するが、あなた、きみ、おまえ、あんた、てめえなどの変化は年齢の序列ではない。

アメリカで発せられる[You]という言葉は豆腐のように平板に見える。
きっと、これは、貴族階級などがあってその権力の下で文化が発酵していったという歴史に乏しいからだろう。
階層による格差や差別は先住民や黒人に対して発揮される「排除」の思想に繋がっている。しかし、相手はあくまでも[You]だ。トランプもプアホワイトも黒人の貧困層も[You]だ。

いろいろなことを教えてもらっているうちに、ふと、昔に覚えた論語の言葉が浮かんだ。たしか、学而篇にあった言葉。
「学びて時にこれを習う また説ばしからずや」という一節だ。この後に有名な「朋あり遠方より来たる また楽しからずや」という言葉が続く。説ばしい、といのは喜ばしいという読みになっている。そうだな、この年になって初めて知ることは面白い。

昔、同居していた祖父が「フライと天ぷらはどう違うのか」ということを母に聞いて、説明を受けてからしきりに頷いていたことを光景として思い出す。私も驚いた、そんなことも知らないのか、このジイサンは。ナポレオンはボナパルトというのが上につくのか下につくのか、と訊かれたこともあった。少し、困った人だったのだ。
70歳を過ぎても、そんなことを知ると嬉しそうに頷く。

思えば、私が教育されていた。知らないことを知るのに年齢は関係なく、習うことを喜ばしいと思えるということが祖父の教育だったのだろう。それは「知ること」に対する謙虚さでもあった。
祖父は自分の得意分野の漢詩と川柳や狂歌に関しては、カウンターパンチのように孫の私に繰り出してきた。解釈してみろ、というのだ。

ベトナム語の帰り途でそんな祖父の思い出を頭に浮かべていた。そして、そんな祖父が息子である私の父に対して、どうだ、やるか、と声をかけて、まるで二人で対話をするように碁を打っている光景を幻のように思い出した。二人とも言葉を交わすわけでもなく白と黒の石を繋いでいった。碁がわからない私は時々横に座って黒白の石が繋がっていくのを見ていた。いかんな、これは、と苦笑いする祖父の表情も思い出す。昭和の時代の話だ。

旅で知ったベトナムの風景や人びとの暮らしに興味を持って、また来年旅してみたいと思ったことがベトナム語の勉強に繋がっているのだが、それは新鮮な印象に裏打ちされている。今でも、あの時に撮った写真を見なおしたりしているのだ。

まあ、その辺りは次の回にでも。今から昨日のレッスンのノートの整理でもしてみようか。声調記号で6種の発音がありそれぞれで意味が違うなんて、難しいな。いやいや、大変だ。

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# by wassekuma | 2018-04-07 11:28 | 日常  

言葉に表われる習性について

ということで前回の続き。
もう時間の流れで忘れられているかもしれないが、フロリダの銃乱射事件のこと。
メディアを追っかけていると、前に起きたことが「人の噂も七十五日」という慣用句のままに感じられる。
まことに人は忘れる生き物だと思う。もちろん自分も含めて。

ただ、人のこだわりはそれぞれにあって、それが人間を面白くしている。
今の国政レベルでも、もう財務省~理財局マターで書類の問題が集中審議されているが、厚労省のミスはもう議論されることない。裁量労働制度にも「忖度」がなかったのか、という問題だ。まあ、これは後に述べるつもり。「忖度」ね。

さて、本題の銃乱射事件の問題。ここで考えるのだが、まず銃というのは生き物を殺傷するためにあるという原理。もちろん、鹿や猪を殺して食べるという文化もあるので、一概に人間と限定はできない。しかし、銃の発展形の「武器」というのは殺傷した人間の数は、地球上の鹿や鳥やクマよりも多いのは明白だ。
今の時点では最高の到達点は核兵器ということになるのだろうけど。

映画にも鉄則があって、画面に銃が出てきたら、それは必ず発射される。一般家庭では発射されることのない銃も多くある。但し、銃の存在理由は「自分や家族を守るため」という黄金律を持っている。ある国はそれを規制しようとはしない。歴史的に見ても銃は「自分や家族を守るため」に必要とされた。

スミスさんの家に行ったら、二階の寝室に散弾銃やライフルがあるということもあるのだ。
事件のあとに大統領はいろいろと話した。教師も銃を持てばいい、とか。まあ、こんなトランプカードは見飽きているので、全米ライフル協会の会長の「言葉」に私は注目した。ラピエールという男だが、彼はこう言った。「宝石店には銃を携行したガードマンがいるのだから、学校も銃を持ったガードマンに託すべきだ」と。

学校と宝石店を同列に語る粗雑な頭の中身をどうのこうのと言うつもりはない。
この言葉の中に、そんな学校が満ち溢れるような国になってもいい、いやむしろなった方がいいということが読みとれたことだ。
この国は西部開拓史の言葉がまだ生きている。ヨーロッパからの流れ者が西へ西へと進んでいった歴史。自分たちを守るための銃を捨てなかった。

本気で子どもたちを守るつもりなら銃をなくすのが近道なのは誰でもわかる。町中の店で誰でも銃を購入できるという現行システムを変えればいいはずだ。もしくは、完全な銃規制。
しかし、権力側は変えようとはしないだろう。もうこれはこの国の習性なのだ。

さっき「ある国」と書いたが、「アメリカファースト」の国のことだ。スミスさんも出てきたし。この国、世界史から見たら歴史の浅いアメリカが、走り続けてきた原動力は何だったのか。西へ西へと拡大していく国造りだった。第二次世界大戦が大きな契機となった。

普通に考えて、東アジアの小国が騒いでいるからとなぜあれほど危険なゾーンまで入り込んで支配しようとするのか。パックスアメリカーナの夢だろうか。
サソリの習性、DNAだと言うしかないのだろうか。今の日本がカエルのようにお人よしであってはまずい、という話になる。

権力者の言葉は分析してみると、キーになる言葉が羅列できる。政治家の決まり文句。これも習性。
私たちが日常で親身になって口にする言葉とは程遠い。単純なありふれた言葉が投げかけられた人のお守りになるようなことはない。
「こういう状況なので答弁は控えさせていただきます」というような慇懃無礼なタームを普通に使える人がいるのだ。「ごめん、それは言えないわ」という言葉にはいっぱい出会ってきた。そうか、なんとなくわかるよ、という対話になる。
「みなさんに誤解を与えたのならお詫びします」というのもよく聞くが、みなさんが誤解したという仮定を含む目線だ。まあ、「仮定のことについてはお答えできません」ということで。これを「仮定ですか、おうちという意味の家庭ですか」と国会で突っ込む議員はいないけど。

前にどこかで育ちがよくて筋が悪い政治家ということを書いた。血筋もよく生まれた時から銀のスプーンを使うような環境にある人たち。育ちがいい。名家の血筋、有名な政治家の三代目とか、ドイツからの移民の三代目で父親が商売に成功した息子とか、この人たちは「忖度」という言葉には鈍感だろう。
これまでの周囲の環境が「忖度」だからだ。今の首相がブラック企業を体験したとは思えないし、副総理が博多の居酒屋で先輩にパワハラを受けるはずもない。

しかし、政治家や官僚の筋とは「公僕」であるという本質だと思う。もうこれは死語だろうけど。しかし、国民に対して「自分の言葉」で話ができるかということが、基本的なモラルになる。いろいろな国の権力者を散見すると、言葉によって色合いがわかる。信念をもって語っているのか、一般受けするように語っているのか、という図式だ。後者はアドバルーン(これも死語?)が好きで、その風船には実態がついていかなくてもよい。一本筋の通った信念ではない。

今の世の中の動きを見ていると、ほんとに権力というのは面倒くさいものだと思う。政治家も官僚も計算抜きの自分の言葉では語れないし、「忖度」という曖昧な言葉で右往左往している。窮屈な話だ。
ただ、はっきりしてるのは「忖度」という死語に近い言葉を浸透させたのは、彼ら権力者の功績かもしれない。
これもまた彼らの習性が生み出した成果なのだけれど。

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# by wassekuma | 2018-03-20 12:31 | 社会  

サソリとカエルの話

平昌の冬季オリンピックが終わった。
特に氷の上での競技でメダルが多い大会だったが、アスリートたちの感動的な光景を目にすることが多かったと思う。
メダルの数よりも選手それぞれの闘う姿に心が動くのは、それまでの苦労を想像するからだと思う。競い合う選手同士のつながりも小平奈緒の金メダル獲得の際にも見ることができた。人と人ならこれほど純粋な形でたたえ合うことができる。

嫌韓のパトスをばらまくような人たちは、金メダルの小平が銀メダルに終わった韓国の選手を抱きしめるという光景をどう見たのだろうか。自国開催で金を逃して涙を流している選手が、なぜ笑顔を浮かべることができたのか。
最もよく自分の心情を理解できる人間がそばに立っていたからだ。

さて、オリンピックが終わってから国会での動きが少しずつ報道されるようになった。
相変わらずメディアの及び腰の印象は残っているけれど。
国会でのやり取りを映像で見ていて、ふと「サソリとカエル」の寓話を思い出した。
今日のお題です。

この話を知ったのは、かなり前に見た映画「クライングゲーム」という映画で語られていた。面白い映画だった。
知っている方もいると思うが、一応説明。

サソリが川にいたカエルに、向こう岸に渡りたいから背中に乗せてくれないか、と頼む。だっておまえは毒針でおれを射すことになるんじゃないか、と言いながら、でもおれを刺し殺したらおまえも川に沈んで死ぬことになるんだぞ、と言って、結局は背中に背負って川を渡る。人のいいカエル?か。向こう岸に着く寸前にサソリがカエルを毒針で刺す。死にかけているカエルがサソリに言う。なんで、おまえも死ぬのがわかっていてこんなことをしたんだ、と。「これが、おれの性(さが)なんだよ」とサソリは答える。そして、二匹とも川に沈んで死ぬことになる。

こんな話だ。なぜ、こんな話を思い出したかと言うと首相や官僚の答弁を見ていて、こりゃこの人らの性(さが)だな、と心の中で呟いたからだ。
もう習性としかいいようがない。習性なので同じことを繰り返して時間が過ぎる。

理路で言葉を選ぶのではなく、習性で逃げる。決して、忖度というような心の動きではない。忖度:「他人の気持ちをおしはかる」意の漢語的表現@新明解国語辞典。
自分の身を守るため~とは書いていない。

生まれがよくて筋が悪い政治家は多くいる、と思う。要因は、生まれのよさによって難関を経験していることが少ないこと、誰かの責任にできるような環境にいること、この二つが挙げられる。
今の首相が神戸製鋼に勤務していた時期に、長時間働かされて残業代をカットされ成果主義に追いまくられていたと想像できる人がいるだろうか。
「ヒトラーみたいにやればいいのに」ということを口にした副総理はどうか。あの年齢で、市井の老人として場末の居酒屋で仲間と飲みながら口にしたら、「また馬鹿なことをいって」と友だちに笑われているだろう。人気はあるかもしれない。でも、場所は永田町だ。

おそらく、この挿話を思い出したのはオリンピックで競技をする選手の姿を見たからだと思う。オリンピックに出場できなかった多くの選手を思いながら闘った選手もいるだろう。「支えてくれたみんな」という言葉を頻りに口にするメダリストを見ていて、その選手が一人で一本道を走っていただけではないことがわかる。だから、素直に感謝の気持ちが出るのだ。

これほどコントラストのはっきりとした風景はない。なにかに真剣にうちこんで広い世界で闘う若者たちと老練さだけを売りにして「国会言語」を駆使して日々を過ごす人たち。「一億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」、こんな空疎な言葉を使って惹きつけようとするのは電通などの広告業界の仕事だろう。
そして、その人たちは「一億総懺悔」という言葉を連想はしない。このキャッチフレーズを生み出す「主語」の追求はなされないまま言葉だけが浮遊している。その政策を進めることを喜ぶ人たちが主語になっている。

もう一つ、サソリとカエルの寓話を連想した出来事があって、それはアメリカのフロリダの高校で起きた銃乱射事件のことだったが、これは次回にでも。





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# by wassekuma | 2018-03-06 10:29 | 社会