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聖戦という言葉、そして大義 2

イスラエルのガザへの侵攻が続いている。
地球上で遥か離れた日本からこの様子をニュース等で見ている状態が続く。イスラエルとパレスチナの戦争の影で、ロシアとウクライナの戦いも行われている。

今、今年中には出される予定の小説集の構成などを進めているが、内容は殆ど昭和という時代に依拠したものだ。
物ごころがつき始めた頃から、戦争や内紛、大国の侵略は長い間途切れることがなかったという印象がある。
自分が生を受けた1950年には朝鮮戦争が始まった時期であり、その後もベトナム戦争、中東戦争、アメリカとイランの紛争、イラクへのアメリカの侵攻、アフガニスタンへの侵攻、などが続いた。

このアメリカという大国とヨーロッパの同盟(NATO)がいつも関係する。そして、東西冷戦からの動きで、過去の社会主義国と資本主義国との対決という図式もDNAを持っている。今のロシア(旧ソ連)に親近感を持とうとしているのが中国であったり北朝鮮であることがそれを証左する。

もし子どもにその世界情勢を説明するにはどうすればいいのか。
どの大国も民主主義を標榜し、世界の平和を望んでいることを謳っている。人民共和国という看板を掲げているが、人民が共和できてはいないだろう。

そして、今は経済構造(グローバル経済)が国々の動きを支配していると見てよいだろう。大国(力のある国)が小さな国(弱い国)を戦場として代理戦争を始めるという図式だ。
戦争には二つの類型があると思う。一つはその地域の資源を簒奪するための戦争、もう一つは聖戦というイメージの宗教的な対立の戦争だ。前者はイギリスやアメリカの動きを見ればよい。歴史の読みとりとして。後者は反イスラムという形で、アフガンやイラクに戦禍を遺したアメリカが例になる。敵を見つけなければ戦争にならないからだ。
貧者の戦争は無差別テロになるという実態がある。

第二次大戦の後に起きた戦争で分断された国もある。小さな国の軍備は東西対決の図式で準備された。Cf.朝鮮戦争。
私が生まれた頃の戦争が同じ図式で今イスラエルvsパレスチナで行われている。パレスチナを支援する中東の国も現れているが、それも小国の類だ。圧倒的なイスラエルの国力はパレスチナ自治区を壊滅に導くことは容易だろう。

そこで、考えるのはこの構造も欧米の大国が図柄を描いたということだ。両国ともに「多大な被害」受けている。
ユダヤ人の迫害の歴史(ホロコースト)、そして。その立国のために周辺に追いやられたアラブの人々、両者とも大きな傷を抱えている国だ。

アラビアのロレンス(T・E・ロレンス)はオスマントルコからの独立をめざしてアラブ人の国を作ることをイギリスの方向として示した。ただ、本国ではユダヤ人の立国も両天秤として考えていた。この史観によれば、今起きている戦争の原点はイギリスの施政にある。アメリカも別な角度での責任がある。

さて、子どもにはどのように説明するか。いろんな国があって、その中にはジャィアンみたいなやつがいてね、と切り出すのか。例えば弱いスネオを虐めるんだよ。ふ~っ。でも、ジャィアンのように愛嬌があるわけじゃない。ガザ地区は地獄だ。

ただ、言えることは大人が聖戦だとか大義という言葉を持ち出したら警戒した方がいい。言うのは一部の大人だから。
ジャィアンは体も大きくて強いけどのび太やスネオたちとも仲間になる場合もある。そして、何よりも、のび太たちを排除したり殺すこともないよ。いやあ、難しい作業だ。こどもへの説明は。
現に一万人を越える死者を出しているガザ地区では多くの子どもたちが亡くなり親は涙にくれている。子どもはなぜこんな目にあうのか理解できないままに死んでいく。

国際的にあれほど非難されているベンヤミン・ネタニヤフ首相が次にどのような手を打つのだろうか。今は「休戦」というカードを握っているが、どうするか。わからない。
わかったことは一つある。この大戦後の歴史で国連という組織は無力であるということだ。常任理事国に権限を与え過ぎていることでわかる。そりゃ、一票の反対は入るだろう。第二次大戦の戦勝国が今では分裂しているのだから。
そして、1945年以来どこの戦争にも顔を出しているアメリカの発言力が多大な構図は変わらない。やれやれ、だ。
銃の規制さえできない前近代的な国なのに、と思う。全部「自衛」のための銃なのだろう。一言で言って、野蛮です。
Go Westの時代でもあるまいに。まあ、その銃が国単位では国防費となるのだ。お金使うよね。

よくは知らないドラえもんの話になるが、どこでもドアがあってそこで外交による戦争回避の道はないのかと思う。
無理だろうな。種子島ほどの面積に200万人が住んでいて、世界で最も人口密度の高いガザ自治区の不幸を食い止める力のある大国はない。
最近、気になってパレスチナ系のアメリカ人であったエドワード・サイードを読んでいるけど、この人のエピソードで感銘したのはイスラエル人とパレスチナ人を混合した音楽団を作ったことだった。一体、団員はどんな交流をしたのだろう。
まだ、希望はあると思いたい。

魯迅の有名な言葉。「絶望の虚妄なることは希望のそれに相等しい」。昔その言葉を知ってから、頭に時々浮かぶフレーズだ。

# by wassekuma | 2023-11-10 10:03 | 社会  

聖戦という言葉、そして大義 1

10月も半ばを過ぎた。
今年はもうあと二月半で終わる。今年は自分にとって激動の年となった。これは個人的な体験だが、その出来事には自分が対処していくしかない。どう対処するのか試されているようなものだ。

最近、世界の動きとしてイスラエルとパレスチナの問題が大きな波として拡がっている。
ぼんやりとした記憶だが、マルクスが世界で最後まで残る課題として、「民族」「宗教」の二つをあげていたと思う。違っていたらごめん。このキーワードが頭に残っている。そして、それに付随して自分の頭に浮かんでいたのは、「言語」と「文化」だった。多くの国々が存在する地球のありようだ。

そのありようの中で、例えばヨーロッパは何度も国境線を塗り替えている。中欧もそうだし、イギリスの支配、スペインやイタリア、ポルトガルなどの国々が覇権を拡げようともした。その痕跡として言語が残っている。アフリカの国々は原型の言葉以外に英語やフランス語などを使っていることも現実としてある。メキシコや南米でもそうだ。

第二次大戦後に間接統治という枠組みでアメリカ占領のあった日本でも英語が浸透している。アメリカは占領という言葉を使わずに進駐という言葉を使っていたが、実質は権力の構造としては占領だった。ヨーロッパのような連合軍の統治とは違う。連合軍(勝ち組)の中で陣地の奪い合いが行われたのは、第二次大戦の前の戦争でも同じように起きている。それによって国家の対立まで生じる。日露戦争の原因はそこにあった。

そして、今起きているイスラエルvsパレスチナの戦争は、長い歴史をもつユダヤ人問題が起点としてある。ユダヤ民族が「さまよえるユダヤ人」から建国して国家権力を持つという歴史の転換点だ。
アラブ人という括りから別にイスラム教をベースにして「特別区」を作った。イスラムvsユダヤ教。それが、今イスラエルから砲撃を受けているガザ地区ということだ。その地区の人々は「空のある刑務所」という環境となっている。昔の記憶だが、PLOやPFLPという組織があって抵抗勢力になった。そして、今はハマスという組織が火種ともなった。

ここまでは大雑把に俯瞰した話だけど、なぜ人類はこういったことを繰り返すのだろう、と考えさせられるわけだ。
昨日のニュースでもガザ地区の病院が爆撃されて500人(19日現在)の死者を出している。子どもも多く収容され治療を受けていた病院だ。少し前のニュースで、病院から退避することはできない、とインタヴューに応えて病院の医師が言っていた。人工呼吸器をつける幼児が画面に映る。4、5歳くらいの幼児だ。そして、多くのガザの人たちが自分たちの被害を涙を流して語る。妻子を亡くした男性、瓦礫の下に母親がいるという女性、あの狭い町でこのような情景が報じられる。人口密度の極めて高い地区だ。その死者数はイスラエルの死者数の倍を超える規模だ。

21世紀に入ってすぐに9.11があり、聖戦という言葉が使われた。ブッシュは「十字軍」という言葉まで発した。
ここまで書いてきた悲劇は、もちろん、ささやかな日常を一瞬にしては破壊された人びとの望むことではない。
貧しくて厳しい環境にあっても子ども笑顔を一瞬でも見られる無辜の市民たちだ。聖戦を戦うために大義を御旗として軍事行動を指揮していくのは一部の権力者たちだ。
この二つの言葉は疑わなくてはならない。誰のための聖戦か、そして大義か。

ガザの町が瓦礫に覆われている風景をテレビで見て、日本でも80年ほど前にはこんな風景があったんだと思う。
これからガザのこの状態はどうなるのだろうか。再生させることはできるのか。今年の夏ごろには多くの子どもたちの声が飛び交って、走り回ることのできた状況だった。そこには「空のある刑務所」のなかにも限られた自由があったと思う。そして、「忖度不要」の子どもたちの世界。

大統領をやめる前のD・トランプがエルサレムを訪問して壁の前に立った時から、何かいやな予感があった。アメリカという国が中東に介入して混乱を引き起こす歴史がはっきりしていたからだ。中東戦争やイラン、イラクにまで手を伸ばしていくアメリカの姿が見える。これがトランプにとっての「Great America Again」だったのか。
そうか、トランプ政権の副大統領だったD・チェィ二―は石油利権の元締めだったな、とふと思う。所詮、金かよ、と思う。

今回はここまで。この続きは2で。

# by wassekuma | 2023-10-19 09:10 | 社会  

ミラン・クンデラについて

今、四本の小説を整理して本にする準備を進めている。
もう九月になった。はやいものだ。今年は年明けから老母の介護施設への入居があり、実家の整理など仕事の量が増えていった。まあ、平穏ではない日々を暮らしているわけだ。

その時間を過ごしながら過去の作品を見直すことになった。
全体のトーンとしては戦中・戦後にフォーカスした黴臭いものになった。やはり自分は昭和の児なのだ、荷風が明治の児と言ったように。今のZ世代とか称される人たちから見たら、もう古典的なものになる。

人々が時間に追われるように次々と変化していく時代にいると、昔の風景はモノクロ映画をスローモーションで見ているような気分になる。でも、そんなものを書いている。20本以上の小説が全て戦争に関するものでもないけど、なぜかそこにこだわりがある。おそらく、それは今に通じている何かを感じているからだろう。

馬鹿げた世界戦争を終えた後に、この地球上で戦争の絶えることはなく連綿とどこかで戦乱が起きる。
もちろん、この現象を発現するのは権力側の力だ。そこには大義がうまれ排除が生まれる。敵の存在が生まれる。
国内の南北の戦争で多くの死者を出したアメリカはどこにでも顔を出している。それでいて、民主主義を高らかに謳うのだが、愛する家族を壊していく民主主義って何だろうか、と思う。戦争の歴史は国を守るために若者が死んでいく歴史だ。

今年の7月に、チェコのミラン・クンデラが逝去したという報道があった。享年94歳。
懐かしい作家だ。若かった頃に、「存在の耐えられない軽さ」を読んで、映画も見たことを思い出す。映画では、ダニエル・デイ=ルイス、ジュリエット・ビノシュ、レナ・オリンの3人の俳優が熱演している。この映画を見て、ダニエル・デイ=ルイスという俳優に注目するようになった。
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この写真は若い頃のミラン・クンデラ。「冗談」という作品でブレイクした時期だろうか。
チェコの作家と言えば、カレル・チャペックやヤロスラフ・ハシェクを思い出すが、クンデラの作品には、あの1968年のソ連侵攻が背景にある。「プラハの春」という言葉を覚えている。
ソ連が強権を発動して、プラハに戦車を導入して独立派を弾圧する過程も描かれる。その時期に、ソ連に追随する人たち、あくまでも抵抗する人たちという分断が起きる。抵抗の果てに海外への亡命をする人たちもいる。住みなれた故郷を捨てる。
55年前の出来事だが、今のウクライナの状況とオーバーラップしてしまう。ソ連はロシアという国になっているが。戦争が続くということは多くの人々にとって「耐えられない重さ」を強制することだ。全体主義の産物だといってもいい。

「存在の耐えられない軽さ」の主人公の夫婦もスイスに亡命する。その後にプラハに戻ったが、抵抗した夫は外科医の立場を失って窓ガラスを磨く作業員となって生活する。妻は居酒屋で働く。そのささやかな生活が二人の幸福な時間となる。それは妻の希望でもあった。スイスという異国での生活に耐えられなくなったのだ。

クンデラは「不滅」という不思議な作品で、「イマゴロ―グ」という造語を使っている。イデオローグではなく、イメージを重視する考え方だ。
今の世界情勢を見てもわかる。中国・ロシアとアメリカの対立は、共産主義と資本主義の対立ではない。イデオロギー対立ではなく「覇権の競合」であり、経済拡大をベースとした戦いになる。そして、国内は分断の構図になっている。

最後に、「存在の耐えられない軽さ」のラストシーンだけ挙げておこう。この夫婦は様々な軋轢を超えて、プラハから離れた農村地帯で暮らしている。ブタをペットにしている老人がいて、夫婦とともに暮らす犬はそのブタと仲がよい。その二匹が戯れる光景を二人は微笑みながら見ている。最後に夫婦はその村のパーティに参加してダンスを踊る。
妻は夫に、もしわたしとこういうことにならなかったら、今でもチューリッヒで外科医ができてたのに、と言う。
妻は自分の意向で二人がチェコに帰ってきたことを言っている。
彼は応える。「僕がここで幸福なことに気がつかないのかい?」

この言葉がこの長編小説で語られている「耐えられない軽さ」の着地点だとそこでわかる。それは大義でもなく思想でもなく、使命でもない「自分の自由」を得るということだ。そう思ったときに、昔若い頃に読んだ作品だけど、あの時より強い感動があることに気づいた。過ぎ去った50年の年月が私の視点を変えたのだろう。
またしばらくはクンデラと付き合ってみようか、と思っている。

# by wassekuma | 2023-09-13 08:57 | 文学  

映画「かくも長き不在」について

これは次回のこのブログに書くつもりだが、今、今年の秋ごろを目安に本を出そうと思っている。
一応、4本の小説を準備している。在庫としては28本あってそのうちの4つを選んだ。
この小説の群れで共通に描かれているのは、戦争であり、戦後であって家族の軌跡も含まれる。若い人から見たら黴臭いものとなる。

あえて、それを発表した意図はまたどこかで語ることもあるだろう。ただ言えることは日本の八月は戦争の記憶が語られる夏だという事実だ。広島と長崎の原爆投下、15日にはラジオでの玉音放送。そして、日本は敗戦を迎える。それでも、人々はそれからの「昭和」を生き延びなければなかった。

こんな時期に、私は久しぶりに「かくも長き不在」というフランス映画を再見した。今、人の記憶とは何だろうというテーマを追いかけているからでもある。この映画は1961年のもので、アンリ・コルピという監督が撮ったものだ。原作はマルグリット・デュラス。主人公のテレ―ズはアリダ・ヴァリが演じている。ルキノ・ヴィスコンティの「夏の嵐」の主役も演じる女優で、眼力の強い人だ。キャロル・リードの撮った「第三の男」でもそれは発揮される。

居酒屋を経営しているテレ―ズ・アングロワという女が、ある浮浪者を見かけることからこの物語は動きだす。
その男が16年前にドイツのゲシュタポに拉致されて未だに行方不明の夫に極似していたのだ。テレ―ズはその男の後をつけて住んでいる所も知る。セーヌ川の岸辺にその男は住んでいた。ゴミの集積場からゴミを拾って業者に売るという日常だった。
記憶喪失になっていて、昔のことを思い出せないということもわかる。ジョルジュ・ウィルソンがその男を演じている。

それから、この男の記憶を甦らせようというテレ―ズの行動が描かれる。彼女は夫であることを確信しているが、周囲の人間は首をかしげている。16年も経つと風体が変わる、とも考えている。男を晩餐に招待して、二人で夕食をとる。その際に、ブルーチーズを出して様子を見る。それが夫の好物だったからだ。男は、ブルーチーズは好物だと言う。

音楽を流してダンスをする。これも夫と二人でやっていた過去がある。男はダンスもできると言う。二人で手を取り合ってゆっくりとしたテンポで踊る。その時のテレ―ズの表情が映される。
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このアリダ・ヴァリもそうだが、60年代から70年頃まで活躍したイタリアの女優は強い意志を持った演技が目立つ。この人の「夏の嵐」の演技も見事だった。
当時のハリウッドのような明るくて可愛い女というイメージではない。当時注目されていたイタリア監督が作るものは、フェリーニ、ヴィスコンティ、パゾリーニ、アントニオーニなどが描く女性像は内面に暗いものを抱えていたり、強い眼差しで相手を睨みつけるような演技が目立っていた。フランスでは、ジャンヌ・モローがそのテイストで活躍していた。
この映画が、そういった強い女のテイストを醸し出しているのは伝わってくる。
だからラストシーンが生きて来るのだと思う。
ネタバレになるから書かないが、最後にその男は一瞬だが記憶を甦させることになる。
戦争の影が彼をそうさせていたことがわかる。記憶喪失の意味、として。
もう60年以上前の映画だが、久しぶりに見てまた新たな発見もあった。映画館で初めて見たのは22歳の時だった。これはしっかり覚えている。それから3回くらい再見したけど、今回見て(もう50年くらいが経っている)、ふと思ったのだ。
若い頃には、テレ―ズの一途な思いがあって夫だったアルベールの記憶をなんとか取り戻そうとしていると見ていたが、今はひょっとしたらこの浮浪者の男は夫ではないのではないか、という思いだ。もしテレ―ズの精神が不安定だとしたら、ストーカーまがいの行動になる。

この映画の物語性は、そこをうまく描いている。明確に男がアルベールだということは曖昧なままだ。親戚の人たちを呼んで会わせても、親戚も彼はアルベールではない、と言う。テレ―ズはそれも否定する。
この映画はパリのバカンスの頃を描いているが、ラストシーンでは冬を待つというテレ―ズの呟きで終わっている。
マルグリッド・デュラスの脚本はさすがだ、と思う。

そのラストで自分の記憶がまったく違っていたことがわかった。私は、テレ―ズが店を開店するために働いている様子がラストだと思いこんでいた。それが違った。それはファーストシーンとの混同だった。
そして、映画は続く。きっと、テレ―ズにとってはいつもの客に囲まれて賑やかに過ごす日常が戻るのだろう。
カンヌ国際映画祭でパルム・ド―ルを受賞した作品。

# by wassekuma | 2023-08-10 16:12 | 映画  

72歳のSNS、波乗りはしない。

もう日本は亜熱帯に入ってる。
今日の暑さをみてもそうだ。水害や旱魃、日本に限らず世界でこのようなニュースが流れてくる。
テレビニュースの画面を見て感じるのは、もう現場にいる人たちが、そのまま報道に参加しているということだ。
スマホで撮ったリアルな映像がすぐに流れる。

昔のテレビ報道や新聞はこのスピードに追い付けない。もう今はSNSという言葉が常套句のようになっていて、その網が到る所で活躍する。昭和の時代を生きてきた人間には理解できないことも多い。

ネット何たらには興味もなく、ツィッタ―やインスタ、ティックトックetcには手をつけない。スマホの新型にも心は動かない。理由は単純だ。面倒くさいからだ。
まあ、しかし、ネットによって犯罪集団を動かすという時代がくるとは思わなかったなあ。闇バイト?
今の時代はネット上に多くの波が押し寄せているようだが、波乗りはしない。

面倒なようで興味があるのは今やっているブログ、ただ、これは自分が書きたいことを残しておこうか、という程度のものだけど10年以上続いている。そう、時代の進化でいうとワードの存在もありがたい。小説や評論を書いたりして残す事ができる。原稿用紙を積み上げて場所をとることもないし、便利なものである。

ただ、便利なものには落とし穴もあって、人の繋がりに入ると支障がでることも多い。今、世間で騒がれているマイナンバーもそうだ。カード一枚でこれほどの情報が、という売り込みは破綻をきたした時にどうするか。
売り込んでいるデジタル庁や関連省庁が集まってシステムの問題を検討しているし、何度かお詫び会見も見ている。
まあ、これは保険証を今までのように使えなくするという施策で破綻すると思う。高齢者のウェイトが高い国でやることではない。そして、新手のカード詐欺も想定できる。
そして、国策の裏には、それで収益を求める企業が就くのは昔から同じだ。

部屋の本を片付ける作業をしているが、そこで10年ほど前に著者からいただいた本が出てきた。「災間の唄」というタイトルでコラムニストだった小田嶋隆さんからもらった。彼とは10数年ほどの付き合いだった。自分より5歳ほど若い友人という位置づけだった。それほど頻繁に会うわけでもないが、月一度ほどの交流があり、年に3~4回の箱根での集まりの仲間だった。

この本はツィッタ―を編集してあって、2011年から2020年までの彼のツィッタ―を並べている。武田砂鉄さんと共著のような本だ。私と違って面倒臭がらずに切れ味のよいコラムを量産した。もう一度眼を通してはっきりと思ったことがあった。

日本は2011年の東北の大震災を経験した後の2013年に大きな転換点があったということだ。震災のわずか2年後に何があったか。東京オリンピックの開催決定という出来事だ。あの時の安倍首相を始めとした政府関係者や招致委員たちの喜びようは今でも記憶に残っている。あの瞬間から日本は転轍機によって大きく方向が変わったのだ、と思う。

その後の膨れ上がる予算の問題やオリンピックを準備する際の金の動き、関連した企業の収益構造などは何度も問題になっている。私があの時期に思っていたのは「復興五輪」という謳いあげだった。原発の汚染は何の問題もない、と当時の首相は言った。何かある時点で袖を翻すように空気が変わる。この国はそれを70年以上前に経験している。敗戦後の動きだ。

復興に注力すべき時間帯に、大手ゼネコンや商社はオリンピック景気を追っかけた。眼を向けるべきは被災地であることは当然の理であったはずだ。メディアもスポンサーとの関係があるから異議を唱えることはしない。両論併記という札を使っていたが。あの流れは今でも続いている。関西では大阪万博、カジノ問題など。東京では神宮周辺の樹木を切り倒して再開発の名の下でまたビルが林立していくのだろう。今の再開発の渋谷のように。

1964年のオリンピックの時にも新幹線や高速道路などの新たな動きはあったが、それを見ている人々の感慨は今とは大きく違っている。戦後の復興をみんなで成し遂げたという空気は流れていたし、自分たちの生活が向上していく夢を持つ中流階級の人たちが人口のウェイトを占めていた。今はどうか。格差社会のモデルとなるような国のあり方だ。中間層が薄くなっている。

今の国のありようをはっきりと表わしているのはネット社会という言葉だと思っている。このシステムには個々の自由性を損なうものがあると思う。名前のない全体の乗りのようなものがある。この波は避けたい。
これもまた遠い記憶になる。排除のために汚い言葉を集団で投げつけて盛り上げる風景。でも、その一人一人は日常では普通の人間として暮らしている。まるでハロウィンのようだ。

小田嶋隆さんは昨年逝去された。安倍元首相の暗殺事件の前だ。この本の時点で56歳の自分ということを強調しているが、それから10年ほどで他界。今健在であったなら、と彼はどのようなコラムを書くのだろうと度々思う。ツィッタ―の特性である短い言葉を並べて自分の語り口で書いていた。もうその言葉は発せられない。
この一行を一つ紹介しておきたい。~ク―ルジャパンは、観光手ぬぐいの美意識に着地すると思います。~
今でもクールジャパンを口にする人は多いが。
彼が亡くなって早一年が過ぎた。

# by wassekuma | 2023-07-17 17:03 | 日常